万葉集について

みなべ町 岩代の万葉歌

中皇命(なかつすめらみこと)紀の湯にいでましし時の御歌
 君が代も わが代も知るや 磐代の 岡の草根を いざ結びてな (巻1-10)
訳 あなたの命も 私の命も 支配していることよ この岩代の岡の草を さあ結びましょう


有間皇子 自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首
 磐代の 浜松が枝を 引き結び 眞幸くあらば また還り見む (巻2-141)
訳 岩代の浜松の枝を結び合わせて、無事を祈るが、もし命あって、帰路に通ることがあれば、また見られるだろうなあ。


 家にあれば笥 に盛る飯を草まくら 旅にしあれば 椎の葉に盛る (巻2-142)
訳 家にいたら食器に盛って食べる飯だのに、草を枕とする旅の身なので、椎の葉に盛ることだ。


長忌寸意吉麿(ながいのみきおきまろ)結び松を見て哀しびむせべる歌二首
 岩代の岸の松が枝結びけむ 人は帰りて また見けむかも (巻2-143)
訳 岩代の岸の松の枝を結んだという人は、無事に帰ってきて、また見ただろうかなあ


 岩代の野中に立てる 結び松 情も解けず 古思ほゆ(未だ詳らかならず)(巻2-144)
訳 岩代の野中に立つ結び松よ、いつまでも枝を解かぬように、私の心の悲しみも解けず、昔のことが思われてならぬ。


大宝元年(701)辛丑紀伊国にいでましし時 結び松を見る歌一首(柿本朝臣人麿歌集の中に出づ)
 後見むと 君が結べる岩代の 子松がうれを また見めむかも(巻2-146)
訳 後でまた見たいと思って、あなたの結んだ岩代の松の末を、また見ただろうかなあ。

みなべ町の万葉歌

大宝元年辛丑(701)冬10月 大上天皇(おおきすめらみこと《持統天皇》)大行天皇(さきのすめらみこと《文武天皇》)の紀伊国にいでましし時の歌十三首
 みなべの浦 潮な満ちそね 鹿島なる 釣りする海人を 見て帰りこむ (巻9-1669)
訳 みなべの浦に 潮よ満ちるな 鹿島で釣りをする 漁師を見て帰りたいから

※参考・引用文献:みなべ町教育委員会発行「みなべ町の万葉歌」

(澤瀉先生揮毫の歌碑移転、犬養先生揮毫の歌碑新設竣工記念)

※有間皇子結松記念碑の写真
昭和10年(1935)5月「有間皇子結松記念碑」除幕式挙行
 碑文揮毫 徳富蘇峰(猪一郎)氏(1863~1957)
(『近世日本国民史』全100巻著者)


※有間皇子の万葉歌碑の写真
昭和39年(1964)6月 「有間皇子の万葉歌碑」建立
 碑文揮毫 澤瀉久孝氏(1890~1968)
(「万葉学会」初代代表者、京都大学名誉教授)

※中皇命の万葉歌碑の写真
昭和51年(1976)12月 中皇命の万葉歌を揮毫する
平成16年(2004)12月 「中皇命の万葉歌碑」(犬養孝氏碑文揮毫)建立
 碑文揮毫 犬養孝氏(1907~1998)日本文学者(万葉学者)